中学校古文を徹底的に読み込むー『枕草子』三〇〇段(令和三年度青森県立高校入試問題)

公立高校の入試に出る古文は、中学校で学ぶ可能性が高いものです。

今回は2021年度の青森県立高校の入試問題からみていきます。古文はしばらく今年度の公立高校の入試問題の解説をしていきます。

 

今回から問題の解説という形ではなく、問題文を徹底的に読み込む、という形で問題については触れません。

問題は以下のリンクから入手できます。

令和三年度青森県立高校国語入試問題

今回は『枕草子』です。『枕草子』も中学古文の定番です。

 

陰陽師(をんやうじ)のもとなる小童(こわらはべ)こそ、いみじう物は知りたれ。祓(はらへ)などしにいでたれば、祭文(さいもん)などをよむを、人は猶こそきけ、ちうとたち走りて、「酒、水、いかけさせよ」ともいはぬに、しありくさまの、例しり、いささか主に物いはせぬこそ、うらやましけれ。さらんものがな使はんとこそおぼゆれ。

 

第一文です。

陰陽師のもとなる小童こそ、いみじう物は知りたれ。

「陰陽師」=暦を仕立てたり占いや土地の吉凶をみたりする役人(青森県立高校入試の注)。平安時代には「陰陽寮(おんようりょう)」に属し、そのトップは陰陽頭(おんようのかみ)でそのもとで働く「陰陽師」(おんようし)がいました。定員は六人です。

「もとなる」=もとにいる

「小童こそ〜知りたれ」=係り結びです。「知りたる」の完了の助動詞「たり」を「こそ」の係り結びで已然形の「たれ」に変えています。「いみじう」は形容詞「いみじ」の連用形「いみじく」の音便です。「すごい」「すばらしい」などの意味です。「知る」の主語はもちろん「小童」です。

陰陽師のもとにいる小童がすばらしく物を知っていた。

 

第二文です。

祓などしにいでたれば、祭文などをよむを、人は猶こそきけ、ちうとたち走りて、「酒、水、いかけさせよ」ともいはぬに、しありくさまの、例しり、いささか主に物いはせぬこそ、うらやましけれ。

「祓」=神に祈って罪・けがれを清め、災いを除くこと。また、その仕事(青森県立高校入試の注)。

「祭文」=節をつけて読んで神仏に告げる言葉(青森県立高校入試の注)。

「しにいでくれば」=なんか物騒な感じの字列ですが、「しに出で来れば」とすると意味が分かりますね。祓などを「しに」=するために、「いでくれば」=出てきたのでとなります。「するために出てきたので」という感じですね。

「祭文などをよむを」=祭文などを読むのを、ということですが、「よむ」の主語はもちろん陰陽師です。

「人は猶こそきけ」=大変難しいですが、「こそ」という係助詞に気づけば、そこを外せばいいですね。「人は猶きく」です。「きけ」は命令形ではなく、係助詞「こそ」による已然形です。「猶」は「相変わらず」という意味あたりがしっくりきます。「人はただきく」という感じですね。ちなみにここはさすがに出題者が注をつけてくれています。「人はただ聞いているだけだが」となっています。

「ちうとたち走りて」=「ちうと」というのは『日本国語大辞典』(小学館)にも『時代別国語大辞典 室町時代編』(三省堂)にもありませんでした。weblio古語大辞典にもなかったので、かなり特殊な用例でしょう。出題者は「さっと」とつけてくれています。「たち走りて」の「たち」は動詞について意味を強める接頭語で無理に訳をつける必要はありません。「さっと走って」という感じでいいです。

「酒、水、いかけさせよ」=「いかく」に使役の助動詞「さす」の命令形「させよ」がついています。問題は「いかく」ですが、感じに直せば「鋳掛く」と「射掛く」となります。この場合「ねらいを定めて飛道具をあびせる」という「射掛く」が当てはまります。出題者による注は「ふりかける」となっています。

「といはぬに」=「と」は引用の格助詞、「いはぬ」は「言わない」「に」は逆説の確定条件の接続助詞「のに」なのでお「「〜といわないのに」となります。

「しありくさまの」=「する」の連用形「し」に「ありく」(歩く)がついています。現在でも「し歩く」といいますね。「さまの」は「様子の」ということです。

「例しり」というのも難しいです。「例」というのが単なる現代語の「例」に比べると「先例」=手本となる事柄、という意味が付くので、「先例にかなっている」というようなほめ言葉として機能している、と考えるべきです。「しありくさまの、例しり」を出題者は「それをしてまわる様子が、やるべきことをわきまえ」と訳しています。

「いささか主に物いはせぬこそ、うらやましけれ」=「いささか」は「少しも」と出題者の注があります。「主」は陰陽師のこと、「物いはせぬ」というのは「酒、水、いかけさせよ」と言わせないで先回りして行うことです。「こそ〜けれ」という係り結びに注目してください。「うらやましけり」の「けり」が已然形の「けれ」になっています。

祓などをするために出てきたので、祭文などを読むのを、人はただ聞いているだけだが、小童はさっと走って「酒、水、ふりかけよ」とも言わないのに、それをしてまわる容姿が、やるべきことをわきまえ、少しも陰陽師に物をいわせないことはうらやましいものだ。

 

第三文

さらんものがな使はんとこそおぼゆれ。

これについては出題者の注がついています。

こういう気の利く者を使いたいものだ、と思われる。

 

「さらんものがな使はん」という部分を分析します。これは「さらんものがな、使はん」と切ります。

まず「さらんものがな」ですが、「さ、あらん、もの」というのが「さらんもの」となっています。「さ」は「そのように」という副詞、「あらん」は「あり」の未然形に推量の助動詞「む」の音便の「ん」がついています。「そのようにあるだろう者」ということです。「がな」は「もがな」「もがもな」などと同じで「〜だといいなあ」という願望を示す終助詞です。直訳すると「そのようにあるだろう者がいてほしい」となります。

「使はん」は「使ふ」の未然形に意志の助動詞「む」の音便「ん」がついています。「使おう」という意味です。

「こそ〜おぼゆれ」は係り結びです。「おぼゆ」(覚ゆ)の已然形「覚ゆれ」です。「覚ゆ」は「思われる」という意味です。

これを直訳すると「そのようであろうものがほしい、使おうと思われる」となります。これではあまり意味が通りませんので、意訳するときには「そのように気が利くものが欲しい、使ってみたい、と思われるものよ」という感じになりますね。

 

清少納言が「ああ、こういう気の利く少年がそばにいてくれたら(はぁと)」と思っていた、ということですかね。

 

清少納言については、長保二年(一〇〇〇)に支えていた定子の死後、宮中を退出したことから、しばしば没落して惨めな老後を送った、という話が残されています。下記のエピソードもその一環です。

清少納言が金太郎に殺されそうに?武士とは何か、を歴史研究者が説明しました

 

アイキャッチ画像は高畠華宵(たかばたけかしょう)の「清少納言」(1933年)です。

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高畠華宵:Wikipedia

 

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