中学校古文を徹底的に読み込むー2021年京都府公立高校中期選抜試験古文徹底解説・解説編
それでは「2021年京都府公立高校中期選抜試験古文徹底解説」の解説を行います。
出典は『古今著聞集』
*延喜(えんぎ)の聖主、*醍醐寺(だいごじ)を御建立(ごこんりふ)の時、*道風(たうふう)朝臣(あそん)に額書き進らすべきよし仰せられて、額二枚をたまはせけり。一枚は南大門、一枚は西門の*料なり。*真草a両様に書きて奉(たてまつる)べきよし、勅定ありければ、仰せに
したがひて両様に書きて*進らせたりけるを、真に書きたるは南大門の料なるべきを、草の字の額を、晴れの門にうたれたりけり。道風これを見て、あはれ賢王やとぞ申しける。bそのゆゑは、草の額*ことに*書きすましておぼえけるが、*叡慮(えいりょ)に叶(かな)ひて、*かく日比(ひごろ)の*儀あらたまりてうたれける、誠にかしこきc御はからひなるべし。それをほめ申すなるべし。
注
*延喜の聖主…醍醐天皇。 *醍醐寺…京都市伏見区にある寺。
*道風朝臣…小野道風(おののとうふう)。平安中期の書家 *書き進らす…書いてさしあげる
*よし…というようなこと。 *料…掲げるための物品。
*真草…真は楷書、草は草書を意味し、それぞれの書体を示す。
*進らせたりける…献上した。 *ことに…特に。
*書きすましておぼえける…立派に書けたと思っていた。
*叡…天皇の行動や考えに敬意を表す語。 *かく…このように
*儀…作法
すでにこれだけの注があることでかなり楽です。
では一文ずつ詳細に解説していきます。
1 第一文
延喜の聖主、醍醐寺を御建立の時、道風朝臣に額書き進らすべきよし仰せられて、額二枚をたまはせけり。
概ね注の通りで意味は通るでしょう。「〜進らす」(〜まいらす)は「進上する」という言葉がうまくフィットします。「差し上げる」という感じです。謙譲の言葉です。この場合、醍醐天皇が道風に対して「額書き進らすべき」ということを仰せになった、ということになります。そして醍醐天皇が道風に「額二枚を賜った」となります。「たまはせけり」は「たまふ」(給ふ)に尊敬を示すための使役の助動詞「せ」と過去の助動詞「けり」を入れています。
2 第二文
一枚は南大門、一枚は西門の料なり。
特に難しいことはありませんが、「料」は「何かの用にあてるもの」(『日本国語大辞典』小学館)ということで、この場合は「〜のためのもの」でいいでしょう。問題は「南大門」「西門」ですが、「南大門」について理解しておかないとあとの問題で引っかかりかねません。
日本史のさわりだけでも学んだ方ならば「東大寺南大門」とそこにある「金剛力士像」とその作者である「運慶」「快慶」はご存知でしょう。なぜ「南大門」にそれがあるか、といえば、寺院の正門は南にあることが多く、それゆえ南の門を「南大門」と呼びます。
3 第三文
「真草両様に書きて奉べき」よし、勅定ありければ、仰せにしたがひて両様に書きて進らせたりけるを、真に書きたるは南大門の料なるべきを、草の字の額を、晴れの門にうたれたりけり。
注にもありますが、「よし」(由)が出てきた場合、これは引用を示しますので、「 」でその前をくくります。
「真草両様に書きて奉るべき」という「勅定」(天皇の命令)があったので、ということになります。要するに「楷書体と草書体の両方で書いて持ってこい」という醍醐天皇の命令が小野道風に下ったということです。
そこで道風は「仰せにしたがひて」両様(楷書体と草書体)で書いて進上した、ということになります。従ってここの「したがひて」(従って)の主語は小野道風になります。
道風から提出された二枚の額は、楷書で書いたものを正門の南大門に掲げるものであるべきところ、草書体の額を「晴れの門」つまり正門つまり南大門に掲げた、ということになります。
ポイントは「べき」という助動詞です。さまざまな用法がありますが、一番よく使うのが命令で「せよ」で「真草両様に書きて奉るべき」の「べき」がそれにあたります。「献上せよ」という感じですね。次の「南大門の料なるべき」の「べき」は適当・勧誘の用法であると考える「べき」です。前の文の「べき」と同じですね。現代語ではこの「適当」が一番多いです。従ってここでは訳もそのまま「べき」で大丈夫です。
4 第四文
道風これを見て、「あはれ賢王や」とぞ申しける。
あまり解説するところはありません。「あはれ」はここでは感動詞です。「ああ」でいいでしょう。道風は醍醐天皇の行動(草書体の額を正門に掲げたこと)を見て「あはれ賢王や」と申した、ということです。
まず引用の助詞「と」に注意しましょう。これが出てきた、ということはその前から「 」でくくります。これで⑷の問題が解けましたね。
「と」の次の「ぞ」は係助詞で、後ろの「けり」が「ける」となっています。これは係り結びといいます。過去記事でも解説していますので、こちらをご覧ください。
5 第五文
そのゆゑは、草の額ことに書きすましておぼえけるが、叡慮に叶ひて、かく日比の儀あらたまりてうたれける、誠にかしこき御はからひなるべし。
道風が「あはれ賢王や」と申した理由です。「ゆゑ」は「ゆえ」(故)で、理由を示します。「なぜなら」という意味になります。
「草の額」は草書体の額のことです。草書体で書いた額は「ことに」(殊に=特に)「書きすましておぼえける」だったのですが、という意味になります。
ここで「書きすまして」を解説しますと、「すます」というのはいくつか用法があり、「澄ます・清ます」と「済ます」がありますが、ここでは「澄ます・清ます」の方です。現代語でも「なりすます」という言葉がありますが、これは「うまくなる」ということです。「上手に」とか「うまく」という感じです。従ってここでは「うまく書けた」という感じになります。「おぼえて」(覚えて)というのは「感じて」という意味です。終止形は「覚ゆ」です。ヤ行下二段活用動詞になります。
「叡慮に叶ひて」=「叡慮」つまり天皇の意に叶って
「かく」というのは「此」と書きます。注の通りに「このように」という意味になります。
「日比」(ひごろ)で「日頃」ということになりますね。「普段」「平常」という意味や「数日」という意味、「このごろ」という意味がありますが、この場合は「今までの」という意味になります。「今までの作法」という意味になります。それを「あらたまりて」ということで、今までの作法、慣習を変えた、ということになります。⑸の①の解答が出ましたね。
「うたれける」というのは「打つ」に尊敬の助動詞「れ」と過去の助動詞「けり」がついていると考えれば良いと思います。「打つ」の意味はこの場合は「額・札などを打ち付けて掲げる」という意味になります。従って「うたれける」の主語は醍醐天皇です。
そのような醍醐天皇の行動を「誠にかしこき御はからひたるべし」と言っています。「かしこき」というのは形容詞「かしこし」ですが、「賢し」なのか「畏し」なのか、少し悩みますが、「賢し」で「すぐれているさま、それに対する尊敬、賛美の気持」を採用したいと思います。
6 第六文
それをほめ申すなるべし。
醍醐天皇の決断を「ほめ申す」のですから、「申す」という謙譲語がついている以上、この主語はもちろん道風です。最後の「なるべし」は断定の助動詞「なり」に水量の助動詞「べし」がついている形で「であろう」という意味になります。
訳文です。
醍醐天皇が醍醐寺を御建立の時に、小野道風朝臣に「額を書いて進上せよ」というようなことを仰せになって、額二枚を賜った。一枚は南大門、一枚は西門のためのものであった。「楷書・草書の二つを書いて奉納せよ」という勅定があったので、仰せに従って二つの書体で書いて進上したのを、楷書で書いたものは南大門に掲げるべきものであったのを、草書の字の額を、正門(南大門)にお掲げになった。道風はこれを見て「ああ、なんという優れた王か」と申したのであった。その理由は、草書の額は特に立派に書けたと思っていたのが、叡慮にかなって、このように今までの作法を改めてお掲げになった、まことに賢き御はからいであろう。それをほめ申したのであろう。
では問題の解説をしていきます。
⑴ 本文中の a両様に書きて奉(たてまつる)べき の解釈として最も適当なものを、次の(ア)〜(エ)から一つ選べ。
(ア)それぞれの書体で二枚ずつ書いたものを、差し出すように
(イ)それぞれの書体で一枚ずつ書いたものを、差し出すように
(ウ)どちらかの書体で書いたものを、差し出すように
(エ)どちらかの書体で書いた二枚のうち、良い方を差し出すように
「両様に書きて奉べき」というのが「楷書・草書の二つを書いて奉納せよ」という意味ですので、(イ)が正解です。
⑵ 本文中の二重防戦部で示されたもののうち、主語が一つだけ他と異なるものがある。その異なるものを、次の(ア)〜(エ)から選べ。
(ア)したがひて (イ)書きたる (ウ)うたれける (エ)ほめ申す
上の訳文を見ればはっきりしますが、「うたれける」は醍醐天皇、それ以外は小野道風になります。
⑶ 本文中の bそのゆゑは ・ c 御はからひ は歴史的仮名遣いで書かれている。これらの平仮名の部分をすべて現代仮名遣いに直して、それぞれ平仮名で書け。
「ゑ」を「え」に、「ひ」を「い」に変えます。「そのゆえは」「はからい」となります。
⑷ 本文中には、道風の発言が一箇所あり、それを示すかぎ括弧(「 」)が抜けている。その発言の部分の、初めと終わりの二字をそれぞれ抜き出して書け。
第四文の解説に示した通り、「あはれ賢王や」の部分です。「あは」と「王や」が正解です。
⑸ 次の会話文は、ねねさんと秀吉さんが本文を学習した後、本文について話し合ったものの一部である。これを読み、後の問①・②に答えよ。
ねね 醍醐天皇によって醍醐寺が建てられた頃、道風は優れた書家として有名だったんだよ。
秀吉 そうだったね。その道風は、醍醐天皇のどのような行為を評価したんだったかな。
ねね 道風は(A)に、(B)を掲げた行為を評価したことが本文からわかるね。
秀吉 そうだね、醍醐天皇の行為は(C)であったと道風は考えていたんだね。
① 会話文中の(A)・(B)に入る最も適当な表現を、本文中からそれぞれ(A)は三字で、(B)は五字で抜き出して書け。
② 会話文中の(C)に入る最も適当な表現を、次の(ア)〜(エ)から一つ選べ。
(ア)書の専門家の判断を優先したものであり、醍醐天皇自身の思いとは異なっていたが、慣例を一変させたもの。
(イ)古くからの通例を変えたものであり、その判断は醍醐天皇自身の考えとは違っていたが、多くの者の賛同を得られるもの。
(ウ)道風の意見と同じであっただけではなく、長く続いてきた風習にも醍醐天皇自身の感覚にも従ったもの
(エ)慣習にこだわらず醍醐天皇自身の感性に沿ったものであっただけでなく、その書き手と同じもの
第三文と第四文を見れば分かります。道風は「南大門」に「草の字の額」を掲げたことを評価していますね。Aが「南大門」、Bが「草の字の額」となります。
②ですが、「日比の儀あらたまりて」という部分から「慣習にこだわらず」という点で(ウ)が排除されます。そして「叡慮に叶ひて」ということで、道風の意見が「叡慮」つまり醍醐天皇の意思と一致していることがわかります。答えは(エ)です。
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