中学校古文を徹底的に読み込むー『紫式部日記』の清少納言評

清少納言を出した以上は、紫式部を出さないわけにはいきません。

中学校古文を徹底的に読み込むー枕草子三〇〇段(令和三年度青森県立高校入試問題)

 

清少納言と紫式部はライバル関係とよく言われますが、実際は彼らの活動年代には大きくずれがあり、清少納言が宮中を退出した約6年後の寛弘2年(1006)ごろに藤原道長の娘の璋子に仕え始めました。この辺のライバル関係はここではさておきます。

それではみていきます。

 

 清少納言こそ、したり顔にいみじう侍(はべ)りける人。さばかりさかしだち、真名(まな)書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人に異(こと)ならむと思ひ好める人は、必ず見劣りし、行末(ゆくすえ)うたてのみ侍るは。艶(えん)になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ。

 

まずは第一文。

清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。

「したり顔」=得意顔

「いみじう侍りける人」=形容詞「いみじ」には「はなはだしい」「すばらしい」「ひどい」という意味がありますが、この場合は「したり顔」が「いみじ」なのでしょう。「侍りける」は丁寧の補助動詞「侍り」に過去の助動詞「けり」をつけています。角川ソフィア文庫の『紫式部日記』には山本淳子氏のわかりやすい現代語訳が付いています。紫式部ファンは一冊持っておいて損はないと思います。


紫式部日記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

ここでは以下のように訳されています。

清少納言ときたら、得意顔でとんでもないひとだったようでございますね。

 

第二文

さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。

「さばかり」=副詞「さ」で「そのように」という意味に「ばかり」という副助詞がついています。「それぐらい」程度の意味になります。

「さかしだち」=「賢し(さかし)」で「賢い」という意味です。「だち」は漢字にすると「立つ・起つ」が当てはまります。「さかんに〜する」という意味で、この場合「賢いアピール」ということになります。

「真名書き散らして侍るほども」=「真名」は「仮名」の対義語で、漢字・漢文です。当時女性は「仮名」を書くものと決められており、「真名」を「書き散らす」女性は「わきまえない女」と思われていました。「書き散らす」はそのままでも意味が通じますね。「侍る」は丁寧の補助動詞、「ほど」はこの場合「ようす」です。

「よく見れば、まだいと足らぬこと多かり」=「よく見ると」まだ「いと」(たいへん)「足らぬ」(足りない)ことが「多かり」(多い)となります。「多かり」は「多し」と同じ形容詞です。

山本氏の解釈は次のようになります。

あそこまで利巧ぶって漢字を書き散らしていますけれど、その学識の程度も、よく見ればまだまだ足りない点だらけです。

 

第三文

かく、人に異ならむと思ひ好める人は、必ず見劣りし、行末うたてのみ侍るは。艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし

「かく、人に異ならむと思ひ好める人」=「かく」(このように)、「異ならむ」は形容動詞「異なり」の未然形「異なら」に、意志の助動詞「む」をつけています。「異なろう」という意味です。「思ひ好める人」はそのまま「思って好んでいる」でも意味が通じそうです。

「行末うたてのみ侍るは」=「うたてのみ」は形容詞「うたてし」の語幹(用言の活用しない部分)の「うたて」に副助詞「のみ」をつけています。「うたてし」は「いやだ」「がっかりする」「ひどい」あたりがいいでしょう。「行く末うたて」というのは、「お先真っ暗」という感じの意味になります。

「艶になりぬる人」=「艶(えん)」というのは基本は「自然や人事についての感覚的、官能的な美をあらわす」となりますが、ここの「艶」はあまりよい意味には使われていません。そこで「あだっぽい美しさ、色めかしさ、浮薄の美を表わした」というのを採用します。ここは『日本国語大辞典』(小学館)によりました。「なりぬる」は四段活用動詞「成る」に完了の助動詞「ぬ」の連体形「ぬる」がついています。「なった」という意味です。

「いとすごうすずろなる折も」=「すごう」は形容詞「すごし」の連用形「すごく」のウ音便です。意味は「殺風景だ」という意味です。「すずろなる」は形容動詞「すずろなり」の連体形です。「なんということのない」という意味です。ちなみに漢字では「漫ろなり」と表記します。

「もののあはれにすすみ」=「もののあはれ」は有名ですね。「しみじみとした趣」です。前の部分と合わせて解釈すると、「何でもないようなことにもしみじみとした情感を感じ」ということになります。山本氏はここを「「ああ」と感動し」と訳しています。

「をかしきことも見過ぐさぬほどに」=「をかしき」は形容詞「をかし」の連体形です。『枕草子』は「をかし」の文学と呼ばれていますね。「風情がある」「美しい」という意味ですが、対象に入れ込む「あはれ」と比べると対象を突き放して批評している、というイメージが強いです。山本氏の訳では「「素敵」と思うことも見逃しませんから」となります。「見過ぐさぬ」は動詞「見過ぐす」の未然形に打ち消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」をつけています。「ほど」は「あいだに」という感じでいいでしょう。

「おのづから」=副詞で「いつのまにか」「自然に」といういみです。

「さるまじく」=「さるまじく」は「さ」「あるまじく」がくっついて「さ」に「あ」が吸収されてしまった形です。「あるまじく」は「ある」に不適当を示す助動詞「まじ」の連用形がついています。「そのようにあってはならない」という意味です。山本氏は「的外れ」と訳しています。

「あだなるさまにもなるに侍るべし」=「あだなる」は形容動詞「あだなり」の連体形です。漢字では「徒なる」と表します。「誠実でない」という意味です。「なるに侍るべし」は「なる」と断定の助動詞「なり」の連用形「に」がついています。そこに丁寧の補助動詞「侍る」と推量の助動詞「べし」がついています。「なる」に「だ」の丁寧「でしょ」に「う」がついている、と考えればわかりやすいです。「誠実でない様子にもなるのでしょう」という意味になります。山本氏の訳では「中身のない様相」となっています。

 

山本氏の解釈を示しておきます。

(例えば清少納言の場合のように)風流を気取り切った人は、(人と違っていようとするあまり)たいそう寒々として風流にはほど遠いような折にまでも「ああ」と感動し「素敵」と思う事を見逃しませんから、そうこうするうち、自然に(一般の感じ方からかけ離れてしまって)的外れで中身のない様相を呈する事でございましょう。

 

第四文

そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ。

「あだになりぬる人」=「あだに」は上の形容動詞「あだなり」の連用形です。「誠実でなく」という意味になります。「なりぬる」は動詞「なる」に完了の助動詞「ぬ」の連体形「ぬる」です。「なった」という意味です。

「いかでか」は「どうして」という意味の連語で、もともとは副詞「いかで」に係助詞「か」がついたもので、「どのようにして」という意味になります。「どうしてよくなるでしょう(いや、ならない)」という反語表現を使えばいいかと思います。

山本氏の訳です。

その中身が無くなってしまった人の果ては、どうして良いものでございましょう。

 

紫式部の激しい清少納言批判は、清少納言の『枕草子』が現実から目を背け、ひたすら「セレブでおしゃれなアテクシ」をアピールしている点にあります。『枕草子』は定子のために書き始められましたが、定子の死後にも書き継がれ、読まれていました。定子の晩年は定子のバックにいた藤原伊周や藤原隆家はしょうもないことで自爆して失脚していました。定子も謹慎し、出家して宮中から退出しましたが、一条天皇は周囲の反対を押し切って定子を宮中に迎え入れました。しかし長保2年(1000)暮れ、媄子(びし)内親王を出産した際に定子は落命し、清少納言も宮中を退出して藤原棟世(ふじわらのむねよ)と再婚し、彼が摂津守になった時に同行して摂津にいたことが知られています。清少納言の娘の上東門院小馬命婦(じょうとうもんいんこまのみょうぶ)が上東門院藤原彰子(藤原道長の娘)に仕え、紫式部の同僚となっていることがわかります。

 

清少納言の晩年はそれほど惨めなものではなかったはずですが、かといって「セレブなアテクシ」アピールの『枕草子』の世界と比べると、『枕草子』が「いとすごうすずろなる折(寒々として風流にはほど遠い)」中に「もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬ(「ああ」と感動し「素敵」と思う事を見逃さない)」ものである、と紫式部は批判しているのです。

 

しかし実際にはそこにこそ清少納言の凄さがあるのではないかと考えます。没落していく中で心も休まらない中に「もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬ」精神こそ清少納言の真髄であり、また『枕草子』の醍醐味であると思います。そして事実、定子は数年前にすでに死去し、清少納言も宮中を去ってなお定子サロンの影響力は彰子サロンにも及んでいました。

 

『紫式部日記』のこのあたりは紫式部が彼女の娘の大弐三位(だいにのさんみ)に書き送ったものと考えられています。大弐三位も紫式部や清少納言の娘の上東門院小馬命婦と同じ上東門院に仕えています。『紫式部日記』の清少納言批判の背景としてはそういう面も見逃せないでしょう。

 

あと解説には以下の書籍を参考にしました。中学古文・漢文の勉強にはもってこいの参考書と思います。


システム中学国語古文・漢文編

 

アイキャッチ画像は滋賀県石山寺所蔵の土佐光起画による江戸時代に描かれた紫式部像です。

 

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