戦国時代のポイント2
戦国時代のポイントです。
の続編です。
今回は西洋人の来航についてです。
以前ザビエルについて書いたことがあります。
合わせてご一読ください。
中学受験はなんだかんだ言ってせいぜい日本史ですから、この分野ではとりあえず「1543年鉄砲伝来」と「1549年キリスト教伝来」を覚えればすみます。あとは鉄砲を伝えたのがポルトガル人で、キリスト教を伝えたのがスペイン人のザビエルであることを押さえれば大体大丈夫です。さらに南蛮貿易やそれで入ってきた品物、言葉などを覚えていけばさらによいです。そして主なキリシタン大名と少年使節、キリシタンの禁令の始まりあたりを覚えさせられておわりです。
中学生になると世界史との関係が重要になってきます。宗教改革の問題と関係させる必要があります。カトリックの行き詰まりに対応してルターやカルヴァンという人々がカトリック批判の文脈で新しいプロテスタントという宗派を確立します。そしてプロテスタントに対するカウンターとしてイエズス会が設立され、その設立メンバーの一人がザビエルなのですから、この問題は世界史と非常に深い関係があります。
またこのころはいわゆる大航海時代です。スペイン国王に支援されたジェノヴァのクリストファー・コロンブスが未知の新大陸(アメリカ大陸)に到達し、スペインは新大陸に勢力を拡大していきます。一方バスコ・ダ・ガマはアフリカの先を通って大西洋からインド洋に抜ける道である喜望峰を見つけ、陸路を通らずにヨーロッパとアジアを結びつけることに成功します。
またスペインのフェルディナンド・マゼランは南米大陸の先にマゼラン海峡を見つけ、太平洋を通ってフィリッピンに到達し、そこでマゼラン自身は殺されますが、残された乗組員によって世界一周が成し遂げられます。
そうした動きは当然東南アジアにも大きな影響を及ぼします。主としてアジアに影響をもたらしたのはポルトガルです。スペインは基本的に新大陸に勢力を広げており、スペインは新大陸、ポルトガルは旧大陸(ユーラシア大陸)を征服していく、いわゆる「デマルカシオン」という、世界分割条約に基づく役割分担がなされていました。これが日本にはもっぱらポルトガルが来航した理由です。
1511年、アフォンソ・アルブケルケというポルトガルのインド総督がマラッカ王国を滅ぼします。これによってインド洋と東シナ海を繋いでいた交易拠点がポルトガルの手に落ちました。そしてそこを押さえたアルブケルケは大使としてトメ・ピレスを当時の明の首都であった北京に遣わします。しかしマラッカを滅ぼしたことがすでに明に伝わっており、明との交易に失敗します。そのようなポルトガルに接近したのが、当時東シナ海を席巻していた倭寇でした。倭寇の頭目の一人の許棟がポルトガルを倭寇ネットワークに誘い込みました。
このマラッカ陥落は琉球にも大きな影響を及ぼしました。琉球はインド洋の物資をマラッカから入手し、それを日本や明に売却して利益を得ていました。しかしマラッカがなくなれば琉球の主な利益のポイントが日本と明の中継に限られ、日本の影響力が増していきます。
ピレスはマラッカに滞在中に「レケオ」(琉球)と「ジャンポン」(日本)について書き記しています。これが西洋人によって実在が確認された最初の日本の記録です。
そして1543年(一説には1542年)には鉄砲が伝来します。
ここで授業ならばワークを出したいところです。鉄砲伝来の様子を描いてください、と。
どんな船でしょう。そしてどんな人々が乗っていたでしょう。
話はシャム王国(現在のタイ)のアユタヤに始まります。そこにいた船長のディオゴ・デ・フレイタスの船から三人のポルトガル人が脱走し、倭寇の王直に匿われます。ちなみに彼らの名前はアントーニオ・ダ・モッタ、フランシスコ・ゼイモト、アントーニオ・ペイショットと言います。彼らは王直の船に乗って種子島に到着しました。
したがってどんな船か、といえば中国風のジャンク船だったはずです。そして乗組員はほとんど倭寇の人々です。もっとも当時の倭寇は、中国南部の商人団であって、明の官憲の取り締まりに対抗するために武装していました。そして彼らは日本にも交易拠点を持っていました。
これが日本にも大きな影響を及ぼします。特に鉄砲はそれほどのトレーニングをしなくてもそこそこ使える、という圧倒的な魅力を持っていました。それまでの最強の武器である弓矢は、かなりのトレーニングを必要とします。その点鉄砲は数を揃えて足軽に撃たせると大きな威力を発揮します。鉄砲を大量に手に入れて武力を大きく発展させた大名が出てきます。その代表的な一人が織田信長です。彼の父の織田信秀は津島や熱田の交易拠点を掌握し、富を築き上げていました。それだけに信秀を継承した信長は、いち早く鉄砲を大量に入手し、戦争に勝つことができたのです。
ではまた。