中学入試受験生ならここまで解ける!共通テスト2021年日本史Bその2

前回の続きで、中学入試で社会が得意である場合、どの程度共通テストに通用するのか、を見ていきます。

前回では第1問と第2問だけだと8割越えという高い点数を叩き出しています。

中学入試受験生ならここまで解ける!共通テスト2021年日本史Bその1

ちなみに昨年全体でも65点を超える点数を叩き出せています。

中学入試受験生ならここまで解ける!センター試験日本史B

中学受験の知識に少し上乗せするだけで共通テストの日本史Bは十分戦える、ということです。ただ注意しなければならないのは、今年から始まった共通テストではそれまでのセンター試験に比べて思考力が問われる問題になっています。社会だけが得意な生徒には解答は難しいでしょう。逆に国語の特に論説文がしっかりできる生徒は社会の知識がそれほどなくでもかなりの高得点を狙えるでしょう。そしてその傾向はあらゆる科目で強まっていくものと考えられます。

 

では第3問と第4問を見ていきたいと思います。

 

第3問

中世の荘園の話です。荘園の話は苦手な人が多いようです。日本史が嫌いな人の中には結構「荘園が分からない」という人もいらっしゃるのではないでしょうか。ちなみに私も荘園の話は苦手です。「何で中世の専門家なの?」という疑問の声が出そうですが、荘園については触れないように生きてきました。

 

問1は史料と下の図を見て答える問題です。

史料

紀伊国留守所(国司が遙任の場合に、国衙に設置された行政の中心機関)が那賀郡司に符す(上級の役所から下級の役所に文書を下達すること)

このたび院庁下文のとおり、院の使者と共に荘園の境界を定めて榜示(領域を示すために作られた目印のこと)を打ち、山間部に神野真国荘を立券(ここでは榜示を打ち、文書を作成するなど、荘園認定の手続きを進めること)し、紀伊国衙に報告すること。

⑴ この史料に関するXとYの文を読んで正しいか正しくないかを判別する問題です。

X 史料は院庁の命を受けて、紀伊国衙が那賀郡司に対して下した文書である。

Y 史料では、那賀郡司に対し、院の使者とともに現地に赴き、荘園認定のための作業をするように命じている。

 

いかがでしょうか。

Xですが、紀伊国留守所(国衙に設置された機関)が那賀郡司に下達した文書、というのは容易に読み取れますね。全く日本史の知識は関係ありません。紀伊国衙をA、郡司をBとすれば、「AがBに下達する」という文を読んで「AがBに下した文書である」という文が正しいかを判定するものです。

Yを見てみますと、「院の使者と共に榜示を打て」と言っているのですから、どうみても正しいことがわかりますね。これも歴史の知識は関係ありません。ちなみに( )の説明は実際よりも簡略化していますが、十分ですね。

 

次に以下の図を見て答える問題です。

 

X 榜示が設置された場所を見つける。

赤で囲んでおきました。「榜示」の周りには何が見えるでしょうか。「荒河荘」「鞆淵荘」「阿弖河荘」「野上荘」

が見えますね。どう見ても荘園と荘園の間の区切りです。というか、上の史料を読んでもそう読めますね。

 

Y 榜示と榜示を線でつないでみる。

線でつなぐと荘園の領域が見えてくるのは明らかですね。これも荘園の知識が何一つなくても大丈夫です。

 

そこでa〜dの選択肢を見ていきます。

a 榜示は田や村の中心に設置されている。

←これは誰が見ても間違いであることはわかります。

b 榜示は山の中(図の色地)や川沿いに設置されている。

←これは誰が見ても「榜示の場所」と関わりがあります。X関係ですね。

c この荘園の領域が見えてくる。

←榜示をつなげばそうなるのは明らかですね。これはY関係です。

d この荘園内の各村の境界が見えてくる。

←どんなに努力しても見えません。

Xーb Yーcが正しい解答です。

 

問2

平安〜鎌倉の都市と地方の関係についての設問です。

間違えている選択肢のみ示します。

② 禅文化が東国へも広まり、鎌倉には壮大な六勝寺が造営された。

これが嘘であるのは、この辺が得意な中学受験生ならば問題ありません。鎌倉五山であることは理解できます。ただ文化は比較的簡単に済ませる傾向が強いので、この辺は少し難しめかもしれません。

問3

一揆の問題です。山城国一揆・加賀の一向一揆・正長の土一揆の順番を示す問題です。中学受験では基礎的な問題に属します。

問4

都市と地方、地方間の交流の問題です。

X この人物らが諸国を遍歴したことで、各地に連歌が広まり、地方文化に影響を与えた。

だれが見ても宗祇であって西行でないことは明らかですね。

Y 宋や元の影響を受けて、地方で製造された陶器の一つで、流通の発展によって各地に広まった。

赤絵か瀬戸焼ですが、瀬戸焼は鎌倉時代に始まっていることは鎌倉時代の産業で押さえます。中学入試の範囲内です。赤絵といえば私の中では酒井田柿右衛門で、人間国宝の14代柿右衛門の遺作がJR九州の「ななつ星in九州」の洗面台の洗面鉢に使われていることで鉄道オタクの間にも知られた名前です。

 

第4問

江戸幕府に関する設問です。

上の図をみて設問に答える形式です。

必要な知識は井伊直弼(日米修好通商条約の時の大老で彦根藩主)と親藩・譜代・外様大名の区別、という知識です。これらはいずれも基礎中の基礎で、よほど社会が苦手な受験生でも覚えているでしょう。

X 大名の殿席は外様大名よりも譜代大名のほうが、奥に近い場所を与えられていた。

上の図を見ればはっきりしています。正しいです。

Y 日米修好通商条約のときに大老を務めた人物の家と、徳川斉昭の家とは同じ殿席だった。

Aの溜之間に「彦根藩井伊家」とあり、Eの大廊下に「御三家」とあります。井伊直弼はAに、徳川斉昭はEに詰めることになります。よって誤りです。

 

問2

武家諸法度に関する問題です。開国後の大船建造解禁と、武断政治から文治政治への転換、参勤交代の順番を答える問題です。少し頭をひねれば参勤交代の制定(家光)→武断政治から文治政治への転換(綱吉)→開国という流れは理解できます。ポイントは「生類憐れみの令」と文治政治(儒学を広める)をきっちりと関連づけて押さえられるか、それとも単に綱吉の変な人エピソードで消化するか、の違いです。

 

問3

対外関係の問題です。朝鮮通信使・オランダ風説書・琉球国王の使者(謝恩使)・松前奉行が分かっていれば、といいますが、そもそも間違っている選択肢を見れば中学受験でもそこそこ得意な生徒ならば簡単に見破ることができるでしょう。試みに挙げておきます。

① 将軍は、新たに就任すると朝鮮へ通信使を派遣した。

←逆ですね。将軍の代替わりごとに朝鮮国王から日本国王(徳川将軍)への通信使が派遣されたのです。

② オランダは、オランダ風説書で日本の情報を世界に伝えた。

←これも逆です。オランダ風説書は世界の情報を将軍に伝えたものです。

④ アメリカとの緊張が高まると、幕府は松前奉行を設置した。

←松前奉行はアメリカとはあまり関係がなさそうだな、という想像ができるかどうかですね。どう考えてもロシアとの関係が悪くなると松前奉行を置かなければならない、ということになりそうです。

 

問4

史料を読んでその中身に関する文の正誤を答える問題です。古文で書かれていますので、こちらは中学受験生では全く手も足も出ないでしょう。ただ和歌を好きな生徒ならばある程度読めるでしょう。

例えば「流行休日(臨時の休日)決して致すまじく候」という文と「臨時の休日は、全国で一律に制定すると定められている」という文は全く反対のことを言っているな、という程度で正解に至ります。

また「天長節(天皇の誕生日)御執行相成り、天下の刑戮(刑罰)差し停められ候」と「天長節には刑罰の執行が停止された」という文が同じことを言っていることがわかれば解答できます。そして「一同御嘉節(めでたい日)を祝い奉り候様仰せ出され候」という文を見れば、「庶民に天長節を祝うことを禁じて」というのがおかしい、とわかれば問題ないです。

一応中学受験生の範囲からは外しておきます。

というわけでこの部分からは合計32点ですが、中学受験で解ける問題は26点、81%にもなります。もっとも知識だけでなく思考力(=国語力)が要求される反面知識が必要ない問題は10点ありますので、ここで落とすと大変です。

 

「社会は暗記でできる」という指導法は終わりつつあります。これからの時代、国語力が必要です。理科や数学でも「どれだけ読書しているか」が問われる問題が出題されており、話題になっているようです。大事なことなので繰り返しますが、思考力とは国語力です。国語力以上に思考力がつくことはあり得ません。人間は母語を使って思考します。母語能力以上の思考力があり得ないのは自明でしょう。

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