中学入試受験生ならここまで解ける!共通テスト2021年日本史Bその1
2021年度の共通テスト日本史Bを、中学受験生が解けばどうなるか、をみていきます。
これは小学校で学ぶ日本史の知識がいかにあとあとまで影響を及ぼすか、ということの見本となります。基本的な知識を早い段階でつけておかないと、受験直前の間に合わせで得点を上げるための努力に追われることになります。
ちなみに中学の歴史は中学入試の社会に世界史を付け加えたものです。ほぼ流用できます。したがって中学入試は関係ないという方は、中学校卒業レベルとお考えください。
社会の担当者がよく言うことです。「数学の一点も社会の一点も同じ一点」です。ここの「数学」は苦手な科目を入れていただいて構いません。社会は努力すれば努力しただけの点数が取れます。
とりあえずみていきましょう。今朝の朝刊の共通テスト日本史Bの問題を手元においてみてください。
まずは総評からですが、今年は大きく試験問題の傾向が変わっています。昨年までは知識の定着を問う問題でした。今年は知識がなくても解ける問題が増えた反面、与えられた資料を読みとかないと解けない問題が増えています。つまり国語で要求される力が試されています。文意を正しく読み取れないと正解できません
第1問
貨幣の問題です。もうすぐ通貨が変わるのでそれの関係でしょう。
こういう社会系の問題は本文はあまり読まなくてもいいです。
問1
8世紀前半の貨幣に関する法令についての問題です。XとYに関する事項をa〜dから選ぶ問題です。
X 国家は自ら鋳造した銭貨しか流通を認めなかった
Y 国家が発行した銭貨は様々な財政支出に用いられた
法令(大意)
a 運脚らは銭貨を持参して、道中の食料を購入しなさい
b 私に銭貨を鋳造する人は死刑とする
c 従六位以下で銭を10貫以上蓄えた人には位を一階進める
d 禄の支給法を定める。(中略)五位には絁4匹、銭200文を支給する
何も知らなくても、Xとbが結びつくことはわかるでしょう。そしてYですが、これもd以外は当てはまらないことは、普通に文を読む力があれば、おそらく小学校5年生(まだ日本史を学んでいない)でも分かる話です。
問2
一遍上人絵伝の福岡の市の絵を見て答える問題です。こちらは少し日本史の知識が必要です。
a 当時の日本では、宋などの銭貨が海外から大量に流入しており、この場面のような銭貨の流通は一般的であったと考えられる。
これはどう見ても正しいですね。日宋貿易の知識があれば「正しい」とわかります。
b 当時の日本では、国家による銭貨鋳造は停止しており、この場面のような銭貨流通は例外的であったと考えられる。
これは日宋貿易のことが頭に入っておれば間違いであることは分かります。
c この場面に描かれている建物は頑丈な瓦葺きの建築である。
これは絵を見れば分かります。
d この場面には、銭貨のほかにも、古代に貨幣として通用していたものが描かれている
としたらdに何が書いてあっても答えはaとdであることは明らかですね。ちなみに米が描かれています。
問3
室町時代の流通です。XとYの正誤の組み合わせです。
X 戦国大名だけでなく、室町幕府も撰銭令を出した。
Y 明との貿易をめぐり、細川氏と大内氏が寧波で争った。
まあこれは中学受験では難しいかもしれません。そもそも「撰銭令」が中学入試では出ません。
問4
グラフを見て答える問題です。棒グラフの見方を学んでいる小学生ならば十分解ける内容です。
問5
これは中学受験生では無理です
問6
1947年のブラジルで起きた日系人の事件を題材にしています。これも中学受験生には無理です・
第2問
日本における文字使用の歴史です。
問1
中国の王朝に関する問題です。三国時代と南北朝時代と後漢の地図が乗せられています。三国時代は『魏志倭人伝』、南北朝は『宋書倭国伝』、後漢は『後漢書地理志』でそれぞれ出てきますので、小学生の授業レベルです。中学受験生で解けなかった、という場合、根本的な知識に課題を残します。
問2
人名表記の仕方として渡来人らしき人名は姓+名となっており、倭人とは表記方法が違う、という説明に続いて次のような文章があります。
天の下治(し)らしめしし獲□□□鹵大王の世、典奏に奉事せし人、名は尤利弖(むりて)、(中略)刀を作る者、名は伊太和(いたわ)、書する者は張安なり
古文が読めなくてもだいたいわかりますね。
X 「尤利弖」「伊太和」は、漢字の音を借用した表記である。
Y この史料は、稲荷山古墳出土鉄剣銘と合わせて、当時のヤマト政権の勢力が関東地方から九州地方まで及んでいたことを示す。
Xは説明を見ればわかります。これがわからないのは端的に言って社会科の能力ではなく、根本的な思考力です。Yは中学受験では基礎中の基礎の知識です。
問3
二つの事例から考察させる問題です。
事例1 7世紀後半の木簡に「移(ヤ)」「里(ロ)」「宜(ガ)」など、同時代の中国ではすでに使われなくなった漢字音の使用が見られる。
事例2 7世紀の後半の木簡に見える、倉庫を意味する「椋」という字は、中国では樹木の名を指す字であった。高句麗では倉庫を「桴椋」といい、「桴」の木偏と、「京」を合体させた字が「椋」とされた。この「椋」という字は百済・新羅でも倉庫の意味で用いられていた。
この二つの文章から正しい選択肢を二つ選べ、という問題です。
a 7世紀後半の日本には、古い時代の中国における漢字文化の影響は見られない。
これは事例1を見れば間違っていることは明らかです。
b 7世紀後半の日本には、朝鮮諸国における漢字文化の影響が見られる。
これは事例2を見れば明らかです。
c 留学から帰国した吉備真備は、先進的な文化・文物をもたらした。
本問には何の関係もありません。
d 白村江の戦いの後、亡命貴族が日本に逃れてきた。
社会が得意な受験生ならば正解できるでしょう。そして国語が少しでもきちんと読める受験生ならば、ここの問題では百済の読み方が日本に入ってきている、という話ですから、dが関係あって、cは関係のない文であることは理解できるでしょう。従って本問の出来不出来は社会の知識ではなく、国語力の問題です。
問4
国風文化に関する二つの文を読ませて、その根拠を選ばせる問題です。
X 前代の「唐風」を重んじる文化に対し、日本独自の貴族文化が発達した
これの根拠として次の二つの文が挙げられています。
a 大学では、儒教や紀伝道の教育がなされた。
b 勅撰の漢詩集に変わって、勅撰の和歌集が編まれた。
これは4年生の国語の問題でしょう。
Y 「国風」と称されているが、中国文化の影響も見られる。
同じく根拠として次の文が挙げられています。
c 貴族は輸入された陶磁器などを唐物として愛用した。
d 貴族は、白木造・檜皮葺の邸宅に住み、畳を用いた。
これも「中国文化の影響」について述べているcを選ぶべきであるのは明らかです。
問5
日本の文字使用の歴史について述べた文の中で間違っているものを探す問題です。
1 日本列島における文字使用の歴史は、倭国が中国の冊封体制から離脱したことによってはじまった、
これは誰が見ても分かるレベルの間違いですね。あとを見る必要もありません。おそらく「漢字」が中国からやってきた文字であることを知っている人ならば全員が正解できるでしょう。
とりあえず先が長くなりますので、ここで一旦切りますが、ここまでの問題では中学入試のレベルを超えていたのはわずかに2問です。34点中28点取れます。正答率8割を超えています。ちなみに国語力があれば解ける問題は19点分になります。
そしてこれは他の科目にも言えることですが、評価軸が「暗記」から「思考力」に変わるときに重視されるのは実は国語力です。「思考力」を鍛える科目は数学のように思われがちですが、そもそも「母語」で論理的に読み取り、考え、表現する力がない人がいきなり数学で論理的に読み取り、考え、表現することなどできないでしょう。国語が苦手で数学が得意、という生徒は基本的に暗記してそれをそのままアウトプットすることが得意だったわけです。
今回の共通テストの問題を見る限り、国語力、それも論理的な読解力と思考力を身につけることが何よりも必要です。この傾向は今後ともますます強化されるでしょう。