ガチ?の戦国時代研究者?が戦国ixaの武将を学術的に説明します里見義弘

株式会社スクウェア・エニックスの戦国ゲーム「戦国IXA」に出てくる戦国武将解説シリーズ、今回は里見義弘です。

おそらくほとんど知名度はないのではないか、と思います。親父の里見義堯はまだ知名度は少しあるかな、というレベルです。ただ滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』の名前(中学入試ではしっかり出てきます)をご存知であれば「ああ、あれね」という感じになっていただけるのではないかと思います。

 

IKAブルの説明では以下のようになっています。

 

見家の最大版図を築いた第6代当主だワン!上杉謙信と協力して北条家を苦しめたけど、「房相一和」政策により北条早雲の頃より続いた北条家との争いに終止符を打ったんだワン!

 

『南総里見八犬伝』は南総つまり千葉県の先っぽの戦国大名であった里見氏をめぐる物語です。里見氏の姫とそれを守る八犬士をめぐる長編伝奇小説で、もうそれだけで個人的にはお腹いっぱいです。詳しくはどこかでみてください。私はウィキペディアで「南総里見八犬伝」を調べ、途中で飽きて放り投げました。すみません。

 

里見氏は新田氏の庶流で、鎌倉時代には御家人として、南北朝時代には二つに分かれて戦ったようですが、その後の系譜関係ははっきりしません。室町時代には里見氏は鎌倉公方の支配下にあったようですが、鎌倉公方足利持氏が滅ぼされた永享の乱に巻き込まれて滅亡し、その後はよくわからないのですが、16世紀初頭には里見義通が安房一国を支配し、戦国大名となりました。安房国は現在では千葉県の房総半島の先端部分ですが、当時は東京湾の出入り口を押さえる重要な拠点でした。里見義弘がどう考えても「アホイ!良い子のみんな、海賊になってくれる?」みたいな様子なのはそのためです。多分。

 

里見氏は東京湾の海運などをめぐって北条氏と戦います。里見義弘は里見義堯の子で、里見義堯の代には安房国のみならず上総・下総にまで勢力を伸ばしますが、義弘も上杉謙信や佐竹義重と組んで北条氏と戦い、一旦は上総・下総を失いますが、それを奪還して里見氏の最大勢力を構築しました。

北条氏政の代になり、北条氏康時代の政策を見直した北条氏は上杉謙信との講和を進め、上杉氏の後ろ盾を失った里見氏は1577年に房相一和(安房国と相模国の講和)を結び、里見氏の勢力圏は確定しますが、その直後の1578年、義弘は休止します。その後里見氏は内紛が起こり、危機に陥りますが、後継者争いに勝利した里見良義頼がうまくまとめ、豊臣秀吉にもうまく接近しますが、秀吉の怒りに触れ、安房国一国に減らされ、関ヶ原で家康に味方したため常陸国にも所領を獲得して無事に十二万石の大名になりますが、里見忠義の代に政変に巻き込まれて伯耆国倉吉(鳥取県倉吉市)三万石に減封の上に転封処分となり、後継が生まれないまま死去したため無嗣断絶となってしまいました。

 

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