ガチ?の戦国時代研究者?が戦国ixaの武将を学術的に説明します佐竹義重
株式会社スクウェア・エニックスの戦国ゲーム「戦国IXA」に出てくる武将の解説、今回は佐竹義重です。
マイナーなイメージを私は持っていますが、意外とメジャーなんでしょうか。戦国IXAの大殿としては3回目の登場です。安東愛季や南部晴政でも2回目ということを考えれば順当なところかもしれません。
IXAブルの説明では次のようになっています。
佐竹家第18代当主だワン!「鬼義重」の異名を持つ猛将ながら巧みな外交で諸将をまとめ上げ、蘆名家などと共に反伊達連合も結成したんだワン!
佐竹氏というのは貧乏くじを引き続けている、という印象があります。
追記
佐竹氏に関してこんな本が出ました。
戦国佐竹氏研究の最前線
佐竹氏は常陸源氏と呼ばれる、常陸国(茨城県)の北部を勢力圏とした源氏の名門です。祖先は南部晴政と同じ新羅三郎義光です。源頼朝の挙兵時には頼朝に抵抗したために冷遇されました。滅ぼされなかっただけでも儲けものという感じですね。
奥州合戦の時には源氏の白旗を掲げて頼朝に従いますが、頼朝から「紛らわしいから扇の絵でもつけておけ」と命じられます。その後も冷遇され、北条氏に所領を侵食され続けます。
南北朝時代には足利尊氏に従い、うまく時流に乗りました。関東の大勢力として関東八屋形と呼ばれる足利基氏の鎌倉府の重臣となりましたが、これがまた佐竹氏に苦難の道をもたらします。有力な庶流に山入氏が出ますが、佐竹本家はそのころ後継者を欠き、関東管領上杉憲定の息子の上杉義憲が佐竹義盛の婿養子に入り、佐竹義人となります。ここで男系では義光の血筋は途絶えることになりますが、それに不満を持った山入氏と争うことになります。
山入氏は以前から室町公方と直接主従関係を取り結ぶ「京都扶持衆」と呼ばれる集団に入っていました。室町公方の足利義持と鎌倉公方の足利持氏の関係が悪化すると山入氏は難しい立場に置かれ、山入与義(ともよし)は持氏によって滅ぼされてしまいました。持氏はのちに室町公方を継承した足利義教に滅ぼされ、佐竹氏も難しい立場に追い込まれてしまいます。
その後百年間佐竹氏は内紛に悩まされましたが、佐竹義舜・佐竹義篤・佐竹義昭の代には内紛も治まり勢力を常陸南部にまで及ぼすようになります。
有力な常陸の国人領主であった江戸忠通の反乱も義昭の代に鎮圧されています。
なお江戸忠通のカードは上のようなイラストで、いかにも「江戸」っぽさを出していますが、忠通の「江戸」は常陸国の那珂郡江戸郷(茨城県那珂市)です。
佐竹義重は義昭の子として1547年に生まれ、父祖代々の悲願である常陸国の統一を行い、さらに白河結城氏を撃破して北関東から南東北にその勢力圏を広げていきます。そして北条氏政や蘆名盛氏と関東の覇権をめぐって争うようになり、佐竹氏の全盛期を気付き上げることに成功しました。
南奥州に勢力圏を広げたことで南奥州の雄である伊達政宗と戦うことになります。
豊臣秀吉の台頭に際して佐竹氏は対処を誤らず、常陸国54万石を領有することに成功しました。義重は子の義宣に家督を譲りますが、佐竹義宣がやらかしてくれました。義重をはじめ家中の多くが東軍につくことを勧めていたのに、義宣は西軍につこうとして譲らず、結局どっちつかずになって改易は免れたものの出羽国秋田20万石に減封・転封となります。秋田の大名秋田実季(安東愛季の嫡男)はそのとばっちりを受けたわけではありませんが、常陸国宍戸に転封となっています。
ガチ?の戦国時代研究者?が戦国ixaの武将を学術的に説明します安東愛季1
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