ガチ?の戦国時代研究者?が戦国ixaの武将を学術的に説明します南部晴政

株式会社スクウェア・エニックスが展開する戦国IXAをネタ元に戦国時代を解説するシリーズです。

今回は「三日月の丸くなるまで南部領」と言われる南部氏の最盛期を築いた南部晴政です。

 

 

南部晴政は大殿としては二度目の登場で、前回は2017年に登場しています。

「黒ひげ危機一発」という感じですね。

 

南部晴政は「南部家第24代当主で「三日月の丸くなるまで南部領」と謳われるほどの領土を誇ったワン!晩年に長男が生まれた事で婿養子だった信直との関係は悪化したらしいワン…。」と紹介されています。

 

南部氏は源頼義の子で源義家の弟に当たる源義光(新羅三郎義光)の子孫である甲斐源氏の末裔です。名字の地は甲斐国南部郷(山梨県南部町)です。南部氏は陸奥国糠部に所領を拝領(奥州合戦を契機とされるが裏付ける史料はない)し、鎌倉時代は将軍家随兵として鎌倉での活動が目立ちます。また糠部を含む陸奥国の津軽・下北半島周辺はほぼ得宗家(北条氏本家)の所領となっていましたので、北条氏の御内人という側面も有していました。

 

南北朝の内乱では南朝方と北朝方に分裂し、南朝方に付き従い、のちに北朝方に寝返った南部政行や「関東大名」として足利持氏の使者として京都に赴き、砂金と糠部の駿馬を室町将軍に贈った南部守行、十三湊を陥落させ、津軽安藤氏を北海道に追いやった南部義政、下北半島における大規模な反乱であった蠣崎蔵人の乱を鎮圧した南部政経などが知られています。ただ守行・義政らの三戸南部氏と政経らの八戸南部氏が両立し、いろいろとややこしい関係もあったようで詳細は分かりません。

 

戦国時代には三戸南部氏が力をつけ始め、三戸南部氏の安政が足利義晴からの一字拝領(偏諱ともいう)によって晴政と改名します。この時けっこうもめたようです。要するに南部氏に一字拝領を行った前例がなかったのです。室町時代中期に南部義政が室町将軍の一字を拝領した、という書き方がなされますが、はったりである、と断言して良いでしょう。

 

晴政は宿敵の安東愛季との激闘や八戸南部氏をはじめとする南部一門を三戸南部氏の家臣として再編するなど三戸南部氏最盛期を築き上げますが、嫡子に恵まれず、石川高信の子の信直を婿養子に迎えて後継者とします。

 

ガチ?の戦国時代研究者?が戦国ixaの武将を学術的に説明します安東愛季1

 

しかし南部晴継が生まれたことで信直との関係が悪くなり、さらに南部氏の一門の大浦為信が叛いて石川高信を討滅し、津軽地方を支配したことから晴政は苦境に追い込まれます。信直との対立は晴政の死の直後に晴継が13歳で急死(疱瘡とも信直による暗殺とも言われる)し、南部氏は信直が継承することとなります。

 

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