ガチ?の戦国時代研究者?が戦国ixaの武将を学術的に説明します足利義昭 3
一応戦国時代の歴史の専門家の端くれである私が株式会社スクウェア・エニックスの戦国ゲーム「戦国IXA」をプレーしながら、そこに出てくる武将について解説します。
足利義昭3です。
前回までの記事はこちらです。
ガチ?の戦国時代研究者?が戦国ixaの武将を学術的に説明します1足利義昭
ガチ?の戦国時代研究者?が戦国ixaの武将を学術的に説明します足利義昭 2
今回は織田信長と決裂後の足利義昭について説明します。
上の画像は戦国IXA第一章(2010年)の足利義昭です。
織田信長から「朝廷を大事にしないとお兄さんみたいになりますよ?」と詰問され、「死ね」と返していましたが、これは「異見十七箇条」の第一条です。「お兄さん」とは足利義輝ですね。
この時織田信長は非常に低姿勢で義昭のところにお許しを請いに行ったそうです。義昭のプライドに配慮したのですね。
織田信長「あのー、将軍様、今回のことについてはこちらから人質を出しますので何とぞ穏便にお許しいただけないでしょうか」
ちなみに京都中に織田軍が充満し、義昭は完全に外部との連絡をたたれて孤立している、とお考えください。
足利義昭「お前の言うことなど聞いてやるか、ふじこふじこ!!」
信長、義昭の支持者の多い上京を焼き払いプレッシャーをかけます。
信長「上京、焼き払っちゃいました\(//∇//)\」「あと主上(正親町天皇)にも講和のお話をお願いしております。」
「主上まで引っ張り出してきたか。そこまで言うならばお前と講和してやらんでもない。」
「やっぱりお前の言うことなど聞いてやるもんか。挙兵してやるpgr」
槙島城(京都府宇治市)で挙兵も信長に速攻攻められ降伏、京都から追放され、ここに室町幕府は一応つぶれました。実際には幕臣の中には義昭に従ったものもおり、将軍家の直轄地と京都五山のトップの任命権を持ち続けるなど、室町幕府はその後も続いた、という見解もあります。
京都から追放された義昭は信長の部将である羽柴秀吉に護衛されて若江城(大阪府東大阪市)に移りますが、若江城主の三好義継と信長の関係も悪化したため堺(大阪府堺市)に移ります。そこで羽柴秀吉と交渉することになりました。毛利輝元からも安国寺恵瓊らが遣わされ、こもごも義昭に信長の元に戻るように説得します。
羽柴秀吉「信長様は義昭様に是非京都に戻ってきていただきたいと仰せです。」
安国寺恵瓊「そうですよ。ここは信長殿のもとにお戻りになるべきです(こいつに頼られたら毛利も困るしな)
「人質を送るなら考えてやらんでもないm9(^Д^)プギャー」
(駄目だこいつ・・・早くなんとかしないと・・・)
その後義昭は信長包囲網を作ったり、毛利輝元のもとに転がり込んで鞆幕府を作ってみたりします。何しろ義昭は征夷大将軍を辞任していませんから、義昭はずっと征夷大将軍だったわけです。
本能寺の変で信長が滅びた時には大喜びであちらこちらに「信長ざまぁプークスwwwめしうま草生える」と書状を送っています。本能寺の変黒幕説もありますが、主流ではありません。
豊臣秀吉「義昭さんさぁ、もういい加減将軍やめてこちらに来ない?老後の面倒みてあげるよ」
「わっかりました〜。」いそいそ
という感じで大坂にやってきて秀吉の御伽衆(顧問)として一万石の隠居料をもらい、そこでゆったりと優雅な老後を過ごした、とされます。ちなみに足利将軍家で一番長寿を全うした人物でもあります。
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