日本の武士は何であんなに「間抜け」なのかー「元寇」と武士

鎌倉時代を勉強していて一番大きな出来事と言えばいわゆる「元寇」でしょう。

 

元寇ーモンゴル帝国を作ったチンギス・カンの孫のクビライ・カンの時に日本に襲来

1274年文永の役、1281年弘安の役

日本の武士ー集団戦法、新兵器(てつはう)にとまどう

 

まあざっくりこんなところです。

 

ここで「日本の武士は集団戦法にとまどった」という記述を生徒に面白おかしく聞かせる時に小芝居をやります。

 

日本の武士「やあやあ、遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそはナントカ天皇8代の末裔にしてカントカナントカの嫡子」

モンゴル軍「あいつ何やってんだ?ww」「とっとと殺そうぜww」「アホすぎて草生えるな」

武士、あっさり殺される。

 

いやいや、間抜けすぎでしょ。

 

でてつはうにびっくりしたりしているうちに夜になって、とりあえず敵は船に引き上げ、その夜に大風が吹いて敵は撤退、次の弘安の役でも台風で敵は滅びた。人々は「神風」と呼び、日本は「神の国」と信じられるようになった。

 

まあこういう説明をするとわかりやすいです。しかし鎌倉幕府、無能すぎません?何をどうごまかそうが、とりあえず幕府、仕事していません。

 

なんでこんなことになっているんでしょう。

 

それはここに書いてあることが『八幡愚童訓』(はちまんぐどうくん)という本に基づくからです。

 

『八幡愚童訓』という本は「八幡神」の素晴らしさを「愚かな児童」にもわかるように書いた本です。

 

ここにもっぱら日本の武士の間抜けな闘いぶりが書いてあります。

 

この『八幡愚童訓』は反日の本なのか?

 

もちろんそうではありません。この本は八幡宮の祭神である八幡大菩薩の大活躍を記した本です。

 

我々は戦といえば人間が行うものと考えます。しかし当時の人々にとっては戦っているのは人だけではなかったのです。神も異国の神と戦っているのです。そしてその活躍を幕府に報告し、幕府から恩賞をもらおうとしていたのです。

 

「元寇」のあとに仏神領興行法と呼ばれる法が出されます。どういう法かといえば、神社や寺院が売った土地を取り返せるという法です。

 

わかりやすくいえば寺社向けの徳政令です。

 

つまり神社と武士は競合関係にあるわけですね。だから神社サイドは武士を大したことをやっていない、と宣伝したのです。よくある足の引っ張り合いです。

 

問題はこういう神社の宣伝を真に受けて「元寇の時には神風が救ってくれた」と信じてしまう無邪気さです。武士がものすごく活躍したことを消してしまうんですね。

 

「神風」という考え方は、武士が戦ったという現実から目を背け、神社の利益だけを追求するものの見方です。これを主張するのは仕方がありません。神社もビジネスチャンスに必死ですから。

 

しかしこういう現実から目を背け、自分に都合の良い幻想に閉じこもる姿勢を社会全体が持ってしまったらどうなるのか、歴史を見れば明らかです。「神」と「人」、どちらが大事か、という問題です。日本、だけではありませんが、しばしば人々は「神」とか「国」とかそういうものを「人」よりも重要視します。「国」とか「神」を使って人々を支配する人々にとってはその方が都合がいいからです。

 

戦前、日本は、現実から目を背け、「神州不滅」(神の国は滅びない)という幻想に閉じこもり、国を破滅させました。しかも国を破滅させ、そこから立ち直った現実の日本を受け入れられず、今の日本をバカにして戦前の日本を素晴らしい、と主張する人々は今はむしろ増えている、という事態が起こっています。

 

一方、戦前の歴史教育を批判してきたはずの戦後の歴史教育も、「神風」から自由だったわけではありません。「神風」という幸運によって日本は救われただけなのに、日本はそれを「わが国は神の国だ」と思い上がってしまった、という見方では、少なくとも「元寇」という歴史をしっかりと見つめたことにはなりません。

 

ちなみにこの記事では「元寇」と言っていますが、これは小学生・中学生も考慮に入れた記事だからです。受験参考書を見る限り「元寇」という表記が一番目につきますので、混乱を防ぐために「元寇」を使っていますが、「元寇」という言葉にはいろいろヘンテコな考え方が染みついているので、私はあまり使わないようにしています。

 

参考文献を挙げておきます。


蒙古襲来と神風 – 中世の対外戦争の真実 (中公新書)

 

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