ら抜き言葉、れ付き言葉
世の中に「ら抜き言葉」というものがあります。「見れる」とかですね。
もう一つ、「れ付き言葉」というものが気になっています。「勝てれる」という言葉などです。
国語の先生はなぜかこれを嫌う人が多いです。入試のネタにもずいぶんなっています。というわけでこれは捨て置けません。
「ら抜き言葉」も「れ付き言葉」も、ポイントが二つ分かっていないから発生します。つまりそのポイントをしっかり押さえれば、実はそれほど難しいものではありません。それは何か、ということについては最後に解説します。
とりあえず、次の例文について⭕️❌クイズをしてみましょう。ご家族の方、ぜひチャレンジしてみてください。
では行きます。
1 ぼくはボールを蹴れるよ。
2 ぼくはボールを蹴られるよ。
3 ぼくはボールに蹴られるよ。
4 ぼくはドレスを着れるよ。
5 ぼくはドレスを着られるよ。
6 ぼくはドレスに着られるよ。
7 ぼくはスライダーを投げれるよ。
8 ぼくはスライダーを投げられるよ。
9 ぼくはスライダーに投げられるよ。
10 明日、みんな来れるか?
11 明日、みんな来られるか?
いかがでしょうか?
答えあわせします。
1⭕️ 2⭕️ 3⭕️ 4❌ 5⭕️ 6⭕️ 7❌ 8⭕️ 9⭕️ 10❌ 11⭕️
4と7と10が典型的な「ら抜き言葉」です。
3は「ボール」は友人のあだ名です。ロボットの名前でもいいです。
6は無理していい服を着ているときに使われます。永井龍男の『黒いご飯』にそういう記述があります。
9の「スライダー」は柔道の練習相手です。黒帯で一瞬のうちに背負い投げを食らったりします。
ここで疑問に思われるのは、なぜ1がよくて4がダメなのか、ということではないでしょうか。
そこで質問を一つ、助動詞「れる」と「られる」の違いを述べてください。
この質問、意外と難しいようで、プロの作家でも間違えている人がいました。塾のテキストにも堂々とその間違いを述べた文章が公開されています。注釈がないので、テキストを作ったテキスト会社の人もそれでいい、と思っているのかもしれません。というか、もともとは雑誌に連載されていた記事なのだから、プロの編集者が手を入れるべきではないか、とも思います。かなりの大先生だったので手を入れることができなかったのかもしれませんが。
答えを発表します。
付く相手が違います。
以上です。
よくある誤解が、「れる」は可能で、「られる」は受け身や尊敬、というものです。全く違います。
先ほどの偉い先生もその間違いを犯していらっしゃいました。
「れる」「られる」は、受け身・自発・可能・尊敬の助動詞で、「れる」と「られる」の間に意味の違いはありません。あくまでも付く動詞が違うだけです。
どう違うのか、といいますと、次のようになります。
「れる」→五段活用、サ行変格活用の未然形
「られる」→上一段活用、下一段活用、カ行変格活用の未然形、特殊な場合のサ行変格活用の未然形
まず「蹴る」という動詞を検討しましょう。何活用かを見分けるには活用させればわかります。未然形にするには「ない」を付ければわかります。「ボールを蹴る」に打ち消しの助動詞「ない」を付けると「ボールを蹴らない」となります。つまり五段活用の動詞であることが分かります。ということは「ボールを蹴られる」を可能の意味で使うのは、文法的にはOKとなります。使いませんが。
なぜ可能の意味で「蹴られる」を使わないのでしょうか。我々は「蹴ることができる」という意味として「蹴れる」を使います。これは何か、と言いますと、可能動詞といいます。五段活用の動詞は、下一段化することによって可能の意味を持たせることができます。繰り返しますが、可能動詞になるのは五段活用の動詞だけです。
次に「着る」を検討します。打ち消しは「着ない」となりますね。これは上一段活用です。文法上、上一段活用動詞「着る」に付くのは「られる」となります。勝手に可能動詞にしてはいけません。
「投げる」も同じことです。これは「投げない」となりますので、下一段活用です。同じく「られる」です。
「来る」はカ行変格活用(カ変)です。「られる」がつきます。「来れる」はダメです。
サ行変格活用の「する」は基本的に「れる」です。「される」です。「される」は「さ」と「れる」です。そして非常に古めかしい言い方に「せられる」という言葉があります。意味は「される」です。この場合は「せ」と「られる」となります。サ行変格活用動詞の活用形は「さ・し・せ・し・する・する・すれ・しろ・せよ」と覚えた方も多いでしょうが、未然形に入っている「せ」って何じゃ?と思った方も多いでしょう。こういうときに使います。
以上、「ら抜き」言葉を回避するためには二つのポイントがある、と申しました。それは一つ目は「れる」「られる」の違いを理解することと、もう一つは「可能動詞」を理解することでした。言い換えれば「ら抜き言葉」は「れる」「られる」と、可能動詞の理解不足から生じているわけです。
ちなみに「れ付き」言葉はなぜ起こるか、というと、こちらは可能動詞に可能の助動詞「れる」をつけてしまうからです。これも可能動詞を理解していないから起こります。漠然とした印象ですが、改まった場合によく出てきます。私は専ら野球のヒーローインタビューで聞くような気がします。