歴史の大きな流れを押さえようー明治時代1

近代に入ります。明治時代の前半です。

「歴史の大きな流れを押さえよう」シリーズの続編です。

歴史の大きな流れを押さえようー江戸時代

 

幕府が倒れて新政府による新しい政治が始まりました。

これは要するにそれまでの幕藩体制という封建制の国家を、近代的な中央集権制の国家に作り変える動き、とまとめられます。もう少しわかりやすく言い換えますと、藩という体制ごとに固まっていた日本を天皇を中心に一つのまとまった国にする、ということです。

それを強力に推進したのが「維新の三傑」と言われた西郷隆盛大久保利通木戸孝允です。彼らの名前はとりあえず覚えておいてください。

 

1 明治維新

江戸幕府が滅びてから新しい国家体制が作られていく動きを「明治維新」と言います。

⑴ 新政府の方針

まず1868年、五箇条の御誓文というものが出されます。これは新政府の基本方針です。

それと同時に五榜の掲示というのも出されます。「五榜」という漢字が難しいので本によっては「五枚の立て札」という言葉が使われていたりしますが、現在使っているテキストがそういう(ピー)なテキストでなくて本当に良かったです。五榜の掲示は民衆に対する命令で、内容はほぼ江戸時代なみのものでした。キリスト教も禁止されたままで、これで外国とうまくやっていく気があったのかどうか疑問です。もっともこういう馬鹿げた内容は数年で廃止されました。カルト的な人々が新政府から排除されたのが大きいでしょう。

 

ノートに写すべき板書

1868年五箇条の御誓文(新政府の方針)、五榜の掲示(民衆への命令)

 

⑵ 中央集権体制の成立

江戸時代の国家体制である幕藩体制というのは、藩主を改易したり、転封したりと割合藩に対して幕府がいろいろ支配をしているようではありますが、藩では独自の法を作ったりして、結構バラバラでした。そして藩の人々は幕府に従っているというよりはそれぞれの藩の殿様に従っている状態でした。まずは藩を取り潰さなければ話になりません。

そこで藩をいきなりとりつぶすのは難しいので、まずは藩の土地と人民を政府に返して、改めて明治政府から藩の支配を任される、という形をとります。これを「版籍奉還」といいます。「版」とは土地のこと、「籍」とは人民のことです。そして新たに政府はそれまでの藩主を「知藩事」に任命しました。

しかしそれは第一段階で、わずか2年後には藩を廃止して県を設置する「廃藩置県」を行います。藩主を東京に集め、藩と切り離します。そしてそれぞれの藩を新たに府と県に作り変えます。江戸時代「三都」と呼ばれていた東京・京都・大阪は「府」を設置して「府知事」を派遣します。そしてそれ以外は「県」として「県令」を派遣します。北海道は「開拓使」を設置しました。北海道は長い間アイヌの土地で、急速に開拓植民を行なって内地化を進めました。

 

ノートに写すべき板書

1869年版籍奉還→土地と人民を政府に返し、藩主を知藩事に任命

1871年廃藩置県→藩を廃止して新たに府と県を設置し、府知事県令を中央から派遣

 

⑶ その他の改革

江戸を改め東京と改称し、首都を京都から東京に移しました。

天皇一代に一つの元号としました(一世一元の制)。明治・大正・昭和・平成・令和はいずれも天皇の代を示しています。(それまでは何かあればその度に改元)

四民平等

士農工商と呼ばれた武士と町人・百姓の身分をなくしました。新しい身分として「皇族」(天皇の一族)、「華族」(大名と公家)、「士族」(武士)、「平民」(町人・百姓・差別されていた人々)が作られました。「いや、士族、という身分あるよね」と思いますが、それまで百姓・町人には認められていなかった苗字を名乗ることが許され、また武士が許されていた「帯刀」という刀を差す権利をなくしました。「苗字帯刀」と呼ばれる武士の特権がなくなったわけです。

 

ノートに写すべき板書

江戸→東京

一世一元の制

四民平等→皇族・華族・士族・平民

 

⑷ 富国強兵・殖産興業

明治政府は「富国強兵」(国を豊かにし、強い軍隊を持つ)、「殖産興業」(産業を盛んにする)という合言葉のもとで様々な政策を行いました。

 

徴兵令

富国強兵」の一環として「国民皆兵」(国民はみんな軍人になる)という動きになります。それまで戦争をしていたのは武士という身分でしたが、新しい政治のもとでは国民全員が国のために戦うことが求められたのです。この命令を徴兵令といいます。

具体的には20歳以上の男子には兵役の義務が課せられました。20歳になると徴兵検査を受けて軍人としてのトレーニングを積み、その後は普段は普通の生活をしていますが、戦争が始まると集められて戦うことが義務となりました。徴兵のことを「血税」(血を流して国に尽くす)といい、徴兵令反対一揆を「血税一揆」といいました。

 

地租改正

富国強兵」のもう一つの柱は「地租改正」でした。それまでは米の取れ高の50%を米で納めていました(現物納)が、それでは政府の収入は安定しません。そこで土地に値段をつけてその土地の値段(地価)の3%をお金で納める(金納)ことにしました。

これは実は現物納で考えた場合、は江戸時代の負担と変わりません。それどころか米の値段で苦しむのは政府ではなく、農民になります。地租改正反対一揆が起こり、地価の2.5%に引き下げられました。政府に対して声を上げないと良くならないのは今も昔も同じです。これは「竹槍で ドンと突き出す 二分五厘」という川柳にうたわれました。

 

官営模範工場

こちらは「殖産興業」の政策です。官営模範工場としては群馬県富岡製糸場が有名です。

 

板書

富国強兵

1873年徴兵令→20歳以上の男子

1873年地租改正→地価の3%を金納(1877年2.5%←「竹槍で ドンと突き出す 二分五厘」(川柳)

殖産興業

・官営模範工場:富岡製糸場(群馬県)

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