キリンはなぜキリンなのか?実は明の世界戦略と関係があります
キリンはなぜキリンなのか?
「ちょっと何言ってんだか分かんないです」
と思った方、まあ聞いてください。
キリンといえばあの首の長い生き物ですね。
「いらすとや」さんのキリンはこういう感じです。
なぜこいつは「キリン」なのでしょう。
キリンの語源はこいつですよね。同じく「いらすとや」さんです。
これが「麒麟」です。
王が仁ある政治を行う時、現れる聖なる獣です。NHK大河ドラマ「麒麟が来る」でもおなじみですね。
これ、似てますか?
似てませんね。
こういうコラムがあります。
私なりにちょっと説明を加えます。
明(1368〜1644)の時代、明の三代皇帝の永楽帝は世界を制覇するために活発に動きます。
永楽帝は明を建国した洪武帝の息子です。しかし二代目皇帝の建文帝(洪武帝の孫、つまり永楽帝の甥)と対立し、最後は建文帝を殺して自らが皇帝になります。その弱点をなんとかするために永楽帝は頑張らなければならなかったのです。
永楽帝の最大のプロジェクトは鄭和という人物にインド洋への探検に出したことでした。鄭和は7回探検に出発します。このうち4・5・6回目はアフリカにまで到達しています。
現在のソマリアに上陸した鄭和(の別働隊)は様々なアフリカの動物を持ち帰りましたが、その中にやたら首と足の長い妙な姿をした珍獣を見ました。
「これ、何ていうの?」
「ハッ!ゲリ(ソマリ語で首の長い生き物)と申します」
「(゚∇゚ ;)エッ!? 麒麟!? (」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」オオオオオッッッ」
永楽帝もものすごく喜びます。
「ヤッタァ━━━v(*´>ω<`*)v━━━ッ!! 」
というわけであの首の長い生き物はめでたくキリンとなりましたとさ。
ちなみに永楽帝はあのクビライが手こずった日本を全くなんの苦労もせずに属国化しています。日本の方からいきなり貢物を持ってきたのです。永楽帝は貢物を持ってきた日本国王を殊の外重要視します。日本国王源道義です。わかりやすく言えば足利義満です。
もっとも義満は要するに金が欲しかったのですが。当時貢物を持っていくと10倍くらい儲かりました。だから周辺諸国はこぞって貢物を贈ろうとしました。明も実際にぞろぞろ来られても財政の負担になるのでけっこう制限します。しかし日本からの貢物は嬉しかったようです。
これは義満の屈辱外交とも言われますが、近年の研究では義満は明の使者に対して卑屈になるどころかものすごく傲慢に、あたかも自分が皇帝であるかのように振る舞った、ということが明らかになっています。
関心があれば下記の書物をご覧ください。北海道大学の橋本雄先生の著書です。